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風林火山

2007.03.20(19:16)
風林火山(ふうりんかざん)は、甲斐(山梨県)の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に記された「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の通称。実際にも使用されたが、江戸時代以降の軍記物などで武田軍をイメージするものとして盛んに取り上げられ、現在でも多くの人が「武田軍」といえば真っ先に「風林火山」を想起させる。 歴史
「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の句は『孫子』・軍争篇で軍隊の進退について書いた部分にある「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆。/其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し」からの引用。これは「移動するときは風のように速く、静止するのは林のように静かに、攻撃するのは火のように。隠れるには陰のように、防御は山のように、出現は雷のように」と言う意味である。各版本によっては「難知如陰」と「不動如山」が逆に記されている場合もあり、信玄はそうした版の前四句を採用したものと思われる。


経緯
この風林火山の陣旗の始祖は本当の所は武田信玄ではない。風林火山の旗印は信玄よりも200年早く、南北朝時代の若き公卿武将で鎮守府将軍であった北畠顕家が、京を制圧した足利尊氏を打倒するために奥州多賀国府(現在の宮城県多賀城市)で兵を挙げた時から使用していた陣旗であった。

北畠顕家は平安時代後期から鎌倉時代後期まで活躍した村上源氏を始祖としており、学識も深く、孫子に深く傾倒していたと思われる。北畠顕家はこの風林火山の旗印を用いて、一度は足利尊氏をあわや自害のところまで追い込んだのである。

北畠顕家は南北朝を経て戦国期には、「太平記」や「梅松論」、父の北畠親房が記した「神皇正統記」などの書物によって名将として親しまれ、したがって信玄も北畠顕家の風林火山の陣旗を参考に陣旗を作ったと考えられるのである。

また、信玄は信仰する諏訪明神の加護を信じて「南無諏方南宮法性上下大明神(なむすわなんぐうほっしょうかみしもだいみょうじん)」を本陣旗としている。

この話は武田信玄の逸話として有名なものであり、そのためか風林火山を題材とした作品や、名前を引用したものが多く存在する。

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