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キミ・マティアス・ライッコネン

2007.03.17(19:04)
キミ・マティアス・ライッコネン(Kimi Matias Räikkönen, 1979年10月17日 - )は、フィンランド出身のF1ドライバー。日本ではライコネンと表記されることの方が多い。 プロフィール

F1参戦以前
5歳の時に兄のお下がりのモトクロスバイクを乗り始め、8歳の時に兄とともにカートをはじめる。12歳のときより本格的なレースに参戦し、1998年までにカートで数々のタイトルを獲得する。1999年よりフォーミュラ・ルノーに参戦するが、資金難により数戦で参戦を取りやめている。しかし、同年のウィンターシリーズの際にはマノー・モータースポーツ・チームのシートを得て4戦4勝し、翌2000年のレギュラーシーズンは10戦中7勝2位1回3位2回という圧倒的な成績でチャンピオンを獲得する。


[編集] F1参戦後
2001年オーストラリアGPでザウバーからF1デビュー。フォーミュラのでのレースはフォーミュラ・ルノーのみで、F3を経験せずにF1参戦は他の関係者からの批判があった。事実、ライッコネンのスーパーライセンスは4戦限定の仮ライセンスで、危険であれば取り消される可能性もあった(当時のザウバー代表、ペーター・ザウバーがメディアに対し、F1に来る前に、F3に出場させることも考えたと語った)。開幕戦でいきなり6位入賞で周囲の批判を驚きに変え、その後正式にスーパーライセンスが発給された。第6戦のオーストリアGP、第8戦のカナダGPでは共に4位入賞するなど、全17戦中4回ポイントを獲得してドライバーズポイントランキングで10位につけた。

この実力を買われて翌2002年から、同郷のF1ドライバーミカ・ハッキネンの後任として名門マクラーレン・メルセデスの正ドライバーとなり、初戦のオーストラリアGPでいきなり3位に入賞して初表彰台を獲得した。2003年には第2戦のマレーシアGPで初優勝を飾り、当時ドライバーズタイトル3連覇中のミハエル・シューマッハと対等に渡り合い、ドライバーズポイントランキングで2位につけた。

2004年シーズンは不運なエンジントラブルに多く見舞われ、9戦を消化した時点で僅か8ポイントの11位に留まるも、第8戦のカナダGPでの5位や次戦のアメリカGPでの6位など、復調の兆しを見せた。そしてマクラーレン・メルセデスが新車MP4/19Bを投入してから2戦目のイギリスGP予選で2004年シーズン初のポールポジションを獲得、決勝レースでも、同年初の表彰台となる2位を獲得。その後ベルギーGPでシーズン初優勝を飾った。

2005年シーズンは開幕当初はマクラーレンの新車の信頼性不足によりやや出遅れるも、ヨーロッパラウンドに入るや、第4戦サンマリノGPから3戦連続ポールポジション、第5戦スペインGP以降シーズン7回のレースで優勝を飾るなど、ルノーのフェルナンド・アロンソと激しいチャンピオン争いを繰り広げたが、惜しくもアロンソに及ばなかった。ちなみに、イタリアGP(モンツァ・サーキット)において、F1GP至上最速の370,1?/hをマークしている。

2006年シーズンは昨年のような圧倒的なスピードは影を潜め、昨年同様信頼性に欠けることなどもあってチーム含めて未勝利に終わってしまった。シーズンの1/3をノーポイントで終えてしまうほどマシンは信頼性に欠けていたうえ、絶対的なスピードも前半のルノーやアメリカGP以降のフェラーリには及ばず、何度か訪れた優勝のチャンスはリタイアで失うと言う運の無さはこの年も健在であった。また、モナコGPでは2番手をキープし好走を続けていたがレース中盤でエンジンから白煙が上がりリタイアした。しかしその数分後クルーザーでグラス片手に優雅にGPを観戦するというお茶目な一面を見せている(ただ、後述される酒癖の悪さとも関係し、この行動には批判も多い)。最終節となったブラジルGPではミハエル・シューマッハの引退セレモニーが行われたが、彼はこれを見逃した。英国TV局によるインタビューにおいてセレモニーを見逃した理由を問われたライコネンは、世界中に配信されているライブ映像であるにもかかわらず、丁寧に言うと御不浄に赴いていたといったような事を発言し、物議をかもした。また第15戦イタリアGP終了後に、2007年から2009年までフェラーリと契約した事が発表された。

ニックネームは北欧出身で常にクールな性格から「アイスマン」(フジテレビの放送では、「北欧のシルバーウルフ」ともいわれる)。雑誌などのインタビューでも口数が少なく、あまり英語の滑舌が良くないことから「記者泣かせ」と言われるが、ドライビングスタイルや優勝したときのパフォーマンスは情熱的でアグレッシブ。リタイアした際に、誘導しようと体に触るなどをしたコースマーシャルを突き飛ばすなど激情にかられることもある。

また、大の酒好きとしても知られ、表彰台でのシャンパンファイトでは、まずシャンパンを飲んでからシャンパンファイトに参加する。一方、その酒癖の悪さが噂されており、オフシーズンを中心にしばしば酒がらみのゴシップ報道がされている。

F1参戦前からマネージャーは、ディビッド・ロバートソン、スティーブ・ロバートソン親子。彼らは、ジェンソン・バトンを発掘した人物でもある。

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