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南極昭和基地 様変わり「氷点下」の暮らしぶり 半世紀

2007.01.27(19:00)
 南極に日本の昭和基地が開設されてから、29日で半世紀。4棟延べ床面積178平方メートルの建物でスタートした基地も、現在は計58棟延べ床面積6700平方メートルに増設され、世界トップレベルの観測、研究の拠点となった。様変わりした「氷点下の世界」の暮らしぶりを、歴代の隊員が振り返る。【永山悦子】
 「昭和基地のお手本は障子です」。南極観測の1次隊(56~58年)~3次隊(58~60年)に参加し、今も基地建物の設計にあたる平山善吉・日本大名誉教授(72)は言う。障子は、木の枠だけでは頼りないが、そこに紙を張ると丈夫になる。昭和基地は、柱やはりなどの「枠」に、断熱材を2枚のベニヤ板ではさんだパネルを組み合わせ、強度を出している。日本初のプレハブ建築だった。
 最初に完成した建物では、嵐の中、平山さんが一人で宿泊した。「ウイスキーの瓶がカタカタ揺れたが、テントに比べれば快適この上なかった」と平山さん。1次隊が建てた棟は今も立派に残っている。
 昭和基地付近の年間平均気温は氷点下10.5度。当初は燃料が少なく、夜は石油ストーブを切り、寝袋に潜り込んで過ごした。現在はボイラーが終日稼働し、4畳の個室の居住棟には温水床暖房が整備され、Tシャツで過ごす隊員もいる。
 通信環境も、最初はモールス信号だった。やがて衛星通信で結ばれ、電話機が使えるようになった。「新婚の隊員が通信室にこもり、滞在中の電話代が100万円を超えた」との逸話も残る。
 04年、インテルサット衛星の大型アンテナが完成し、大容量のネット通信が常時できるようになった。ブログを持つ隊員もいる。10次隊(68~70年)以来、6回南極へ行った国立極地研究所広報室の佐野雅史さん(65)は「今は、極地研から南極への内線もある。数字を4ケタ押せば南極に通じてしまうので、少し味気ないですね」と話す。
 食事も「日本並み」だ。一線で活躍する調理師が隊員として参加する。1年分の食材、酒を持ち込み、焼きたてパンやフランス料理、居酒屋メニュー、すし、ラーメンなど、さまざまな料理が食卓を彩る。41次隊(99~01年)に参加し、レストランなどを経営する東京会館の山内康敬さん(51)は「食材が少なくなると乾物や缶詰でやりくりしたこともある。だが、毎月の誕生会や太陽が昇らない冬至のお祭りなどでは高級和牛を使ったり、盛り付けを工夫するなどした」と振り返る。
 そんな昭和基地の弱点は「電気と水」。燃料が限られるので節電が欠かせず、水は雪を溶かし、ろ過して使う。実験用の水は、日本から持ち込む。極地研の伊村智助教授(46)は「器具を洗うのも大変。吹雪でも屋外を通って、実験棟と水を使える管理棟の間を何度も往復する」と話す。
 ◇観測隊員の夏季の日課例
6:30 起床
6:45 朝食
7:45 準備体操と作業準備
8:00 作業開始
10:00 中間食
12:00 昼食
13:00 作業再開
15:00 中間食
17:00 休憩
19:00 作業終了
    夕食、入浴
 ▽昭和基地 1957年1月29日開設。南極大陸から約4キロ離れた東オングル島にある。これまでにオゾンホールや南極いん石の発見、氷床掘削による地球の気候変動の解析や極地特有の生態系の解明など、さまざまな成果を上げた。越冬隊の約40人は12月に南極へ到着後、翌々年の2月まで観測にあたる。交代時期の夏季は100人以上の隊員が活動する。23:00 消灯
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070127-00000043-mai-soci&kz=soci
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