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中川 昭一

2006.09.26(19:52)
中川 昭一(なかがわ しょういち、1953年7月19日 - )は、日本の政治家、北海道第11区選出の自由民主党の衆議院議員。自民党政調会長。「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」代表。農林水産大臣、経済産業大臣などを歴任。 父・一郎の死後に起きた鈴木宗男との跡目争いは、当時、マスコミから骨肉の争いと書き立てられた。ちなみに、この時の総選挙では、父・一郎の秘書を務めていた経験があり、後に幹事長となる武部勤も立候補しているが落選している。
趣味は水鉄砲。酒豪というよりも酒乱に近いほどの大の酒好きであり、事あるごとに禁酒宣言をしているが、なかなか長続きしない。2000年の総選挙の際、選挙事務所で泥酔した姿が全国に放映された。当選し、ダルマに目を入れる際には酔っ払っていた事と墨の量も考えずにやってしまった為、黒い涙の様になってしまった。
俳優のような顔立ちで、女性にも人気が高い政治家である。
農政を中心に、郵政、電波、厚生など幅広く政策に通じているが、外交や国家観においてはタカ派として知られ、中国や北朝鮮への厳しい発言が目立つ。経済産業大臣時代、中国とのガス田問題では強硬な姿勢を崩さず、また拉致問題では拉致議連の会長もつとめた。
とりわけ典型的な農林族議員として知られていたため、小泉政権での経済産業大臣就任(2003年)は事務方から驚きと困惑をもって迎えられたが、農業製品の自由化が問題となっていた自由貿易協定(FTA)交渉を巡っては、農林族の大物として党内の族議員の反発を抑えつつ、積極的に推進してメキシコ、フィリピンとの合意に至るなど、ひたすら自由化に反対してきた従来の族議員とは異なる姿勢を見せ、政治家としての幅を広げることになった。続く2005年の内閣改造では農水大臣に横滑りし、引続きWTOの通商交渉で手腕を発揮。内外から高い評価を受けた。
1998年 7月31日 農水相就任直後の記者会見で「強制連行があったのか、 なかったのか分からない。中学校教科書に従軍慰安婦問題が記述されたことも疑問だ」と発言した
2005年(平成17年)8月13日の記者会見で中川経産相は、1998年にミサイルを発射した(三陸沖に着弾)北朝鮮について、「相手(北朝鮮)はまともな国ではない。気違いだと思っている。」と発言し、保守派の賞賛を受けた。
2006年(平成18年)1月30日の衆議院予算委員会のBSE問題での答弁で、「米国での調査は施行していなく、閣議通りに調査しなかった」と発言し、閣議決定を無視したことを農水相として認めた。
2006年4月7日の記者会見で、親中派の二階俊博経済産業相が打ち出した「東アジアEPA(経済連携協定)」構想について「何となく唐突だ。その前にやることがいっぱいある。又、この構想は中国の参加を想定している。昨年春に中国で起きた反日デモの、一般人や民間企業が襲われたことの総括もできていない」と異論を唱えた。(厳密に言うとそれだけが構想反対の理由では無いが。)又、中川は同日「日本は中国と経済連携協定締結の努力をするべきではない。なぜなら中国は日本国民の安全を保証できないからだ」とも語っている。又、更に、中川は同年6月6日の記者会見で日本政府が“凍結”していた中国向け円借款の“解凍”、つまり再開を決めた事について「なぜ中国に対し、また援助するのか。正直言って分からない」と不満を唱えた。これらの事から、中川は中国等(反日国)に対しては相当な強硬派と言える。
2006年9月の自民党総裁選では、友人である安倍晋三官房長官を支持する考えを明言。安倍総裁のもと政調会長に就任した。
兄貴分の亀井静香や平沼赳夫が派閥から離れ、志帥会領袖の伊吹文明もいわゆる総裁候補ではないため、中川への期待は大きい。小泉内閣の5年間には一貫して党7役(広報本部長、組織本部長)や閣僚(経産大臣、農水大臣)として重用されたが、引続いての党三役就任で、同派では将来の有力な総裁候補と目されつつある。
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